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仏のいっつぁん

 今日から少し田舎の話をしてみます。

 まず父のことから話します。父は23年前亡くなった。83歳であった。正月を普段どおりに過ごし、その後食がすすまず1月8日眠るように旅立った。

 遠く離れているので、親の死に目には会えないものと思っていたが、私が田舎に行った夜、大好きなお饅頭を食べさせると、うまいうまいと食べてくれた。それが最期の食べ物だった。家族に見守られて、静かに母の元へ旅立った。母はその10前星になっている。

 父は静岡の出で実家は大きな農家であったが、次男の為家を出た。母と所帯を持ち浜松で雑貨屋を営んでいたが、知人に進められ尾張に移った。

 そこで箱屋になって毎日トントン箱を作った。私の家は箱屋とか遠州とか呼ばれていた。頑張っていた箱屋にも戦争の影がちらつき、父はこのままでは妻子を養っていけないと考え、一念発起箱屋で稼いだお金を元に、田畑を買い農家になった。

 父の転職は良い方に的中した。戦争が激しくなり人々は食べる物に事欠くようになったが、私たちは農家になった父のお蔭で飢えることが無かったのである。

 それどころか父は近所の非農家の人たちに、惜しげもなく農作物を分けたのであった。

これらのことは、私は赤ん坊で覚えていないので後から聞いた話です。

 父はとても短期な人で私もよく怒られた。しかし他人にはめっぽう親切な人で、人々は仏のいっつぁんと呼んだ。

 こんな事があった。私の家で鶏を飼っていた。鶏は昼間は庭に放してある。夕方鶏の数を数えながら鶏古屋に誘導するのだが、3羽足りなかった。あちこち探したがいないのだ。すると裏の家の子供が「鶏ならお爺さんが袋に入れて持って行った」と言うではないか。

 裏のお爺さんに捕られたのだ。私は父に「お爺さんに返してもらう様に行ってくれば」と言うと父は「食べ物が無いんだろう。鶏は売ってしまったんだ」

父は何処かへ行った。帰ってきた父は箱一杯のうどんを抱えて、裏のお爺さんにやってしまったのです。鶏の事を責めるどころか、もっとあげてしまう人でした。
 子供の私は家にもあんなに沢山のうどんは無いのにと思いました。一事が万事そんな父を人々は馬鹿にしたように、仏のいっつぁんと呼んだのである.   
  つづく 
by inakagurashi2003 | 2006-01-07 19:20 | 雑談

初孫誕生で喜びのオーマ(ドイツ語でおばあちゃん)です。


by inakagurashi2003