風のハルカの舞台 由布岳へ
2006年 10月 16日
由布岳(反対側から) 湯の花を作る藁小屋を後に、湯布院を抜け大分の山並みを、右に左に眺めながら草原を抜けふと見ると、大きな山が聳えていた。あの山が由布岳です。
婿殿の説明に車の中から写真を撮った。走っている車からは、思ったとおりの風景は撮れない。此処だ!とカメラを構えると、すぐ回りの木立が山を遮ってしまう。
由布岳はNHKの朝のドラマ、風のハルカの舞台です。見覚えのある山の姿に、おもわずそのドラマの主題歌だった一節を口ずさむと、婿殿も歌った。
ちょっと違うんじゃないそのメロディーと私が歌う。すると婿殿のお母さんも歌った。三人が三様の歌詞であった。リラリララ~と私、ルラルララ~と婿殿、婿殿のお母さんは、ララリララ~と歌う。大笑いしながら、聴く人の感じでこうも違うものなのだなと思った。
由布岳(風のハルカの場面側)
歌いながら、由布岳が一番由布岳らしく見える場所に車を止めると、昨日宿で一緒になった家族に出会った。罪滅ぼしの家族旅行だと言っていた。ラリラ~りラリララ~ またしても朝ドラの風景そのままの、由布岳を見上げて口ずさんだ。
皆忙しくて家族サービスは出来ないのだ。その人に全員集合の写真を撮ってもらった。由布岳をバックにした6人の記念写真は、帰京して直ぐ娘にもらった。
由布岳にさよならして山を下り、日帰り温泉に入った。女性は露天風呂の空海の湯、男性は弘法の湯、と名付けられていた。
やはり九州だ。女性の湯は弘法大師と呼ばれる前の空海、男性の湯は弘法大師となった高僧の呼び名がつけてあった。お昼前だというのに、大勢の温泉好きが湯に浸かっていた。
湯に浸かりながら青空を眺めた。この3日間九州は晴天に恵まれていた。その頃東京では大荒れの天候が続いていたのである。日本も狭いようで広い。
お風呂を上がり昼食の時間になった。婿殿が若い頃行ったという、テレビでも放映された唐揚屋さんに行った。
沢山の色紙が飾ってある小さな店内には、唐揚の骨まで完食した人のサインも沢山あった。どんな唐揚だろうと待っていると、モモ1本を丸揚げした唐揚が出てきた。ご飯は9穀米です。唐揚の下に千切りキャベツを敷いてあった。
この唐揚は先代のお婆さんが考案したそうで、油の中に味付けがしてあるそうだ。一口食べるとカリッとして香ばしく美味しかった。モモ一本はいかにも多い。もったいないが残してしまった。
食後熊本空港を目指し車を走らせた。運転は道路を精通した婿殿のまま。走行中噴煙を上げている山を撮った。 山の名前を聞いたが忘れてしまった。途中もう一つ山に入り眺めのいいところへ出た。そこは山全体につつじが自生している山だった。
つつじの季節なら、感嘆の声を上げそうな気がした。すぐ後ろにある高い山を見上げると険しい岩肌が見えた。婿殿のお父さんはこの山に登ったことがあると言った。
猫岳 遭難する人もあるとか、あの岩肌ならそうだろうと思った。山の名前は猫岳といった。猫が寝そべっているように見えなくもない。昔の人は、猫だの馬だのと山を動物の姿にたとえ名前を考えた。
猫岳を後に熊本空港を目指し、私たちのレンタカーの旅も終わろうとしていた。空港近くでレンタカーを返し空港内の売店で、辛し明太を買うつもりだったが。大きい辛し明太を婿殿のお母さんがお土産に買ってくれた。
あごおとしという名の明太は本当に美味しい。ご飯がいくらでも食べられるので困るほどである。二箱もあるので1箱は、ベルリンの娘が来るまで冷凍にした。
空港から熊本の両親はタクシーを呼び家に帰った。私たちは搭乗までまだ時間があるので、搭乗口付近の椅子に座って待った。
飛行機は時間通りに搭乗できた。座席は1000円足してJクラスにした。少し足元がゆったりしている。背の高い夫も(足は短い)これなら大丈夫だろう。
そして慌しいが楽しい思い出の詰まった九州旅行が終わり、飛行機は阿蘇の山々に別れを告げ、星の瞬く熊本空港を飛び立った。 ひとまず終
婿殿の説明に車の中から写真を撮った。走っている車からは、思ったとおりの風景は撮れない。此処だ!とカメラを構えると、すぐ回りの木立が山を遮ってしまう。
由布岳はNHKの朝のドラマ、風のハルカの舞台です。見覚えのある山の姿に、おもわずそのドラマの主題歌だった一節を口ずさむと、婿殿も歌った。
ちょっと違うんじゃないそのメロディーと私が歌う。すると婿殿のお母さんも歌った。三人が三様の歌詞であった。リラリララ~と私、ルラルララ~と婿殿、婿殿のお母さんは、ララリララ~と歌う。大笑いしながら、聴く人の感じでこうも違うものなのだなと思った。
由布岳(風のハルカの場面側)
歌いながら、由布岳が一番由布岳らしく見える場所に車を止めると、昨日宿で一緒になった家族に出会った。罪滅ぼしの家族旅行だと言っていた。ラリラ~りラリララ~ またしても朝ドラの風景そのままの、由布岳を見上げて口ずさんだ。
皆忙しくて家族サービスは出来ないのだ。その人に全員集合の写真を撮ってもらった。由布岳をバックにした6人の記念写真は、帰京して直ぐ娘にもらった。
由布岳にさよならして山を下り、日帰り温泉に入った。女性は露天風呂の空海の湯、男性は弘法の湯、と名付けられていた。
やはり九州だ。女性の湯は弘法大師と呼ばれる前の空海、男性の湯は弘法大師となった高僧の呼び名がつけてあった。お昼前だというのに、大勢の温泉好きが湯に浸かっていた。
湯に浸かりながら青空を眺めた。この3日間九州は晴天に恵まれていた。その頃東京では大荒れの天候が続いていたのである。日本も狭いようで広い。
お風呂を上がり昼食の時間になった。婿殿が若い頃行ったという、テレビでも放映された唐揚屋さんに行った。
沢山の色紙が飾ってある小さな店内には、唐揚の骨まで完食した人のサインも沢山あった。どんな唐揚だろうと待っていると、モモ1本を丸揚げした唐揚が出てきた。ご飯は9穀米です。唐揚の下に千切りキャベツを敷いてあった。
この唐揚は先代のお婆さんが考案したそうで、油の中に味付けがしてあるそうだ。一口食べるとカリッとして香ばしく美味しかった。モモ一本はいかにも多い。もったいないが残してしまった。
食後熊本空港を目指し車を走らせた。運転は道路を精通した婿殿のまま。走行中噴煙を上げている山を撮った。
つつじの季節なら、感嘆の声を上げそうな気がした。すぐ後ろにある高い山を見上げると険しい岩肌が見えた。婿殿のお父さんはこの山に登ったことがあると言った。
猫岳
猫岳を後に熊本空港を目指し、私たちのレンタカーの旅も終わろうとしていた。空港近くでレンタカーを返し空港内の売店で、辛し明太を買うつもりだったが。大きい辛し明太を婿殿のお母さんがお土産に買ってくれた。
あごおとしという名の明太は本当に美味しい。ご飯がいくらでも食べられるので困るほどである。二箱もあるので1箱は、ベルリンの娘が来るまで冷凍にした。
空港から熊本の両親はタクシーを呼び家に帰った。私たちは搭乗までまだ時間があるので、搭乗口付近の椅子に座って待った。
飛行機は時間通りに搭乗できた。座席は1000円足してJクラスにした。少し足元がゆったりしている。背の高い夫も(足は短い)これなら大丈夫だろう。
そして慌しいが楽しい思い出の詰まった九州旅行が終わり、飛行機は阿蘇の山々に別れを告げ、星の瞬く熊本空港を飛び立った。 ひとまず終
by inakagurashi2003
| 2006-10-16 08:31
| 雑談