兄はお花畑を見た

 昨夜プロ野球の日本シリーズをテレビ観戦していた。野球も終わりに近づいていた頃、電話がなった。病院から兄の具合が悪いから来て欲しいとのこと。

 パジャマで寛いでいた私は、着替えをし車に飛び乗った。誰よりも早く到着すると、病室では医師が2人で懸命に酸素を吸入させる治療を施していた。

 看護士さんが酸素の量が50を切っていると深刻な表情で言った。私もモニターと兄の様子を交互に見ながら、あ~と思った。酸素の体内量は50を切ったり少し上がったりが続いた。

 さすがの兄もダメかもしれないと感じた。兄は苦しそうだが意識はしっかりしていた。モルヒネが打たれている。点滴は速い速度で落ちていた。

 モルヒネを使いだしたんだ、強い薬だから体力も落ちていくだろう。苦しまないで欲しい。モルヒネバンバン打っても、苦しまないで欲しい。そればかり考えていた。

 その内兄の奥さんがやってきた。娘も息子も到着した。酸素量は65ぐらいで平行線だ。モニターの警戒発信は少なくなった。

 人は体内に酸素を供給しなければ生きていけない。100%入っていれば呼吸は楽だ。普通97以上はある。この酸素が80を切れば苦しくなる。

 それが50%になったのである。高い山に登り酸欠の高山病になることがあるが、それに似た状態になるのだ。私たちは医師に呼ばれた。いつ呼吸が止まるかもしれません。

 覚悟はしていたが、いよいよその時が近づいているのだと思った。苦しくないようにしてください。それだけを医師に申し出たが、後は兄の生命力がこの状態に打ち勝つのを祈るしかない。

 暫くして酸素はじりじりと上がりだした。兄も落ち着いたのか、少し寝くなったようだ。私たちは小康状態の兄を病院に任せ家に帰った。

 お風呂に入り寝ようかと思ったところに、また電話が入った。酸素がまた入らなくなったとのこと、もう一度病院へ駆けつけた。

 病室に着くと看護士さんが、何度も呼び出してすみませんと言う。40になってしまったんです。モニターは40%代を行ったりきたりで、真っ赤な警戒が点滅している。

 兄は苦しそうに口を開きあえぐように息をしていた。私は心の中で祈った。イエス様苦しみを取り去ってください。これ以上の苦しみを与えないでください。

 もし兄がこれ以上耐えられないなら、体力が無いのなら、どうかイエスさまの元に連れて行ってください。しかしまだ兄に生きる力があるなら、どうかその苦しみから解き放ってください。

 何時間経っただろうか、また酸素量が復活しだした。病室にいても何の力にもなれない私たちは、病院の待合の椅子に長々と寝そべった。

 少しうとうとしてしまった。甥が帰っていった。日付けが代わり午前4時半、持ち直した兄を残し家に帰ると、バタンキューと寝入ってしまった。

 朝起きると今日の仕事をかた付けなければと、事務処理をした。4日からの旅行をキャンセルした。また何が起きるか解らない。

 お昼前病院に行くと姪が来ていた。驚いたことに兄は少し元気になりベットに座っていた。大丈夫なの、あまり動かない方がと声を掛ける。トイレにも行ったと言う。

 何と言うことか、夕べ生死をさまようほどの苦しみの中、お花畑まで見た人が、バナナまで食べだした。生きることはこういうことなのか。

 人は病気では死なない、寿命が尽きて死ぬのだという。兄の病状からは、余命何ヶ月とか何年とかの判断は医師であっても、だれも解らないのだ。

 覚悟はできている。家族も兄弟も、だけど何度も何度も死の谷から這い上がってくる兄の、何かに守られている、あるいは支えられていると言ってもいい不思議を、どう考えたらいいのだろう。

 どうか今夜も健やかな眠りが与えられますように、私の齢を1年捧げます。兄がこれ以上苦しみませんように、神様側にいてください、恐れなきように...
 
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by inakagurashi2003 | 2007-11-01 21:56 | 雑談

初孫誕生で喜びのオーマ(ドイツ語でおばあちゃん)です。


by inakagurashi2003