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スイカの苗植え

 早朝車を飛ばして房総の畑へ行った。飛ばしてといっても軽四のアルト、大きいセレナは私より早く起き夫が乗ってい行った。

 同じ場所に行くのに別々の車ではエコではないが、私は日帰りの必要があり、夫は泊まるので仕方がない。朝7時には到着した。

 休む暇もなく直ぐスイカの苗を植えた。メロンも少しだが植えてみた。スイカは毎年なんとかできるが、メロンは何年経っても旨くできない。今年こそ美味しいメロンが出来ないものか。

 9時ごろ全部終えカインスホームへ夫と行った。途中の田んぼでは田植えが盛んに行われていた。手植えはなくほとんどが田植え機であった。

 子供のころヒルに噛まれながら田植えをしたが、田んぼに這い蹲っての作業は子供の私でも腰が痛かった。それなのにあの田の泥臭い匂いが懐かしい。

 どじょうを踏むとキュッ~とないた。ザリガニはハサミを発ててむかってきた。ポチャンとかえるが田に飛び込み、アメンボウがスイスイ泳いでいた。

 過剰な農薬使用で今はそういった生き物も少ない。佐渡では朱鷺の繁殖のため,無農薬のお米を栽培する農家が多いのだそうだ。 朱鷺によいのなら人にも良いに違いない。

 房総の農家はどれ位の農薬を使っているのだろうか。白鷺が一羽田の中に立っていた。何か餌になるものがいるのだろうか。

 カインズホームでは堆肥と有機肥料を買い、ついでにお墓に植える花を買った。お墓は切花を手向けるようには作ってない。何種類かの花の寄席植え鉢を作り左右に飾rる。鉢には牡丹を植えた。大きな蕾が付いていたから綺麗に咲くだろう。

 お墓の掃除をし植栽した花を飾り、お昼の弁当をスーパーで買い夫を残して帰宅した。今夜は一人でのんびりしよう。

 夫はいつでも一人でのんびりが好きで、休みの日には房総へ行く。畑仕事は上手ではないが一人が良くて行くらしい。

 先日もジャガイモを植えるのに、何センチ間隔?と聞くから、もう何年も作っているでしょ、毎年同じことを聞かないでと言ってやった。
by inakagurashi2003 | 2012-04-28 18:53 | 田舎暮らし

初めてのハローワーク

 離職して初めてハローワークに行ってきました。前勤め先が離職票を、なかなか送ってこなかったから今日になってしまった。

 今日知ったことですが、離職票は退職後10日以内に出さなくてはならない決まりがあるそうです。私のいた職場は3月31日に大勢の退職者がいたため、出すのが遅くなったようです。

 失業手当は高齢のため、日給で計算し50日分を一時金で出るそうです。薄給だったから、そう多くは出ないと思うけれど、お小遣い程度にはなるでしょう。ありがたい。

 ハローワークにはたくさんの人が来ていました。若者もいます。求人はあるようですが、帯に短し襷に長し、いい仕事が見つかるといいね。

 私にもどんな仕事がしたいですか?と若い女性が聞きましたが、「何のとりえも資格もないですから、何の仕事をしたらいいか解りません」と言うと、そうですか、じゃあ広く一般にしておきましょう、と登録してくれました。

 実はヘルパー2級の資格と、40年乗っている運転免許証がありますが隠しておきました。今時ヘルパー資格があれば、紹介されるに決まっています。仕事は探すフリだけしているのですから....

 こんな年寄りなんかほっておいて、若い人をどんどん就職できるようにしてあげてください。妻や子のいる人、これからの日本社会を背負っていく若者。

 隣の席の若者に、職員が声をかけていました。面接頑張って!!若者はハイ!!元気に言いました。どうかうまくいき就職できますように。

 帰っていく若者の背に、心の中で言いました。「頑張るのよ、おばさん祈ってる」面接は旨く出来ただろうか、どうか若者を採用してください、日本の企業。

 68歳の私は形だけの求職活動、どうか誰も見向きもしませんように...そんなこと祈らなくても大丈夫だって、何にも出来ないおばさんを、相手にする会社はありませんから...

 今度ハローワークに来るように言われた時日は、5月11日朝9時、早いね8時には出なければならない。NHKの朝ドラ、梅ちゃん先生が見られないわ、残念!!
by inakagurashi2003 | 2012-04-26 20:56 | 雑談
 孫日記としてスタートしたブログは、7年目に入っている。初めて生まれた孫のことを書いておくために始めたものだった。

 孫は二人になり、友人のお孫さんも含めた、日々の出来事を写真を添えてアップしてきた。ドイツオルデンブルグに住む和(ナギ孫6歳)東京の三大(サンタ孫3歳)友人の孫楓ちゃん6歳。

 子供たちはそれぞれ成長し、和は昨年8月1年生になり、楓ちゃんはこの春1年生になった。三大は毎日元気に幼稚園に通っている。

 この子らの成長の記録のために、もう少し写真と共にブログを書きたいと思ったが、最近日本でも子供の写真を悪用する事件があるのだそうだ。

 運動会やお遊戯会その他の家族写真をブログから盗用し、児童ポルノとかに編集したりすることがあるそうで、今後ブログ写真の掲載には気をつけるようにとのことです。

 そこで我が孫日記も、子供たちの写真の掲載を辞めることにした。今まで子供たちの成長を応援してくださった方々に、心からありがとう。

 しかし写真のアップはなくなり寂しいけれど、折に触れ孫たちの日常は拙い文章で表現していきたいと思います。

職場を離れてからは、昔のことを書くのが多くなっています。68歳にもなれば僅かな未来のことより、長く生きてきた過去のほうが強く偲ばれます。

 とは言っても、まだまだやりたいことは山ほどあり、伝えたいことも海より深くあります。これからもああだこうだと書くでしょう。  とりとめもなく.....

 内容は違ってもブログの題名は今までどおり、孫日記 遥かなる和へ~のままで続けていきます。孫たちの健やかな成長を祈りつつ。

 
by inakagurashi2003 | 2012-04-25 07:09 | 雑談

テープカット

 25年前の4月24日、いよいよ花の詩画展の開催日です。来賓や花の詩画展を開く会の会員に見守られ、会場入り口でテープカットをしました。

 全く初めての経験でした。幸い天気もよく初日の開催が始まりました。ポツポツと訪れたお客さんは、都心で開かれている有名画家の展覧会場とは違いました。

 エプロン姿の奥さん、腰の曲がったおばあさん、近所の小学生や中学生、通りかかった人たちです。入場無料ですから誰でも気さくに見に来ました。

 そのうち入場制限までしなくてはならなくなり、会場整理をしていた人がどうやったら言いかと聞きに来ました。

 それなら先に星野さんのビデオを見てもらったらどうか。見終わった人と交代すればいい、そんな意見が出ました。それはいい考えだそうしましょう。即決...

 ビデオ室を覗くと、涙を流す人、鼻をすする人、皆星野さんがどれほどの苦労のすえ、あの素晴らしい詩画を描いているのか解りました。

 詩画展を見た人に感想を書いてもらいました。大勢の人が感想を書いてくれたのです。感想ノートは10冊にもなりました。

 その中の一人が書いた文章を読んで驚きました。文面から見ると25歳ぐらいの男性です。名前も書いてありました。

 「自分は今日死のうと思っていました。ふらふらと街を歩いていると、花の詩画展の看板が目に付き、誘われるように入場しました。星野さんが誰なのかも知らず見ました。詩を読み、ビデオを見ているうちに、自分が死のうとしていたことを恥じました。もう一度頑張って生きてみたいと思います。本当にありがとう。このような展覧会を見せてもらい感謝します」

 私たちは嬉しくなりました。何処の誰とも知らない人が、看板を見て入場してくれ、命の大切さを実感したのだから....

 このような人が一人来てくれただけで、展覧会はもう成功したのだと思いました。あの青年はその後きっと何処かで頑張っているに違いない。

 連日大勢の人が見に来てくれました。遠くは福島、島根からも来てくださいました。小さな町の名もない主婦たちが作り上げた、星野富弘花の詩画展は、多くの方々の支えがありました。

 6300人余の入場者と心を通わせた6日間を忘れない。あれから25年もの年月を重ねたが、私の中に今も輝き続けている懐かしい記憶.....

 もう一度読み返そう。風の旅 かぎりなくやさしい花々、鈴の鳴る道、愛深き淵より、もう一度星野さんに会いたいです。また会って下さるだろうか。

 あの時のポスターの花木蓮が、天に拳を突き上げています。今日は雨に濡れて寒そうです。

 詩画展の話はこれで終わります。後日談はまたいつか書いてみたいと思います。
by inakagurashi2003 | 2012-04-23 20:43 | 雑談

いよいよ近付いた開催日

 星野さんに出来上がったポスターを見せると、綺麗に出来ましたねと喜んでくださいました。奥さんもお母さんも、とても喜んでくださった。

 数枚渡すと部屋にたくさん飾ってある、他の地域のポスターの仲間入りをした。ひいき目に見て明るい萌黄色と木蓮の花はどのポスターより目をひいた。

 星野さんの住む東村にも春の足音が聞こえようとしていた。暖かくなれば星野さんの散歩も増え、草花を描く題材があちこちに見られるだろう。

 半年にわたる詩画展の準備に開く会は大忙しだった。看板を発注するのを止めて、腕達者の仲間が自分で描くと言う。

 それなら入り口をアーチにしようと、ベニヤ板にカーブをつけてゴリゴリ鋸で切りました。そこに紙を貼り描いてくれました。

 本の販売は3000冊を超えていました。何とか必要経費を確保できる見込みになり、開催数日前あちこちに委託していた本を回収しました。

 後は当日詩画展を見に来た人たちが購入する分を用意すればいい。でもどれだけ用意したらいいか解りません。

 どのくらいの入場者になるかも、予想すらつかなかったのです。出版社の人に相談し4組の本を500冊づつ用意することにしました。

 入場者を把握するため、星野さんの作品の入ったしおりを作り、来場者に1枚づつ渡すことにしました。作品はぺんぺん草の絵に決めました。

 詩はこう書かれています。

 神様がたった一度だけ この腕を動かしてくださるとしたら

 母の肩をたたかせてもらおう

 風に揺れるぺんぺん草の実をを見ていたら 

 そんな日が本当に来るような気がした

 
 母の肩をたたきたいではなく、たたいてあげようでもなく、たたかせてもらおうと言っています。これこそが星野富弘そのもです。

  前日会場は詩画の展示で大わらわ、星野さんのビデオテープを上映する場所がありません。急遽他の部屋も借り受けて急場をしのぐ有様でした。

 ほんとうに旨くいくだろうか、微かな不安が胸に迫り、食事すら食べたのか食べなかったのか、わからなくなっていました。開催が決まってから2K程痩せました。    続く

 
by inakagurashi2003 | 2012-04-22 20:47 | 雑談

さあ大変

 星野富弘さんの、花の詩画展開催が決まり、一番先にやらなくてはいけないことは、会場探しだった。区内には丁度良い場所がなかなか見つからなかった。

 あちこち探すうち、古いビルだが貸してもらえる場所が見つかった。ミシンの会社の支店を借りた。一週間使用で5万円だった。

 まずはやれやれ、次はいつ開催するか、半年間準備するとし、4月の終わりごろを想定した。運営委員会なるものを立ち上げ、決め事はその会員の会議で決めることにした。

 会員は詩画展を開く主旨に賛同するものなら誰でも入会できた。運営委員長には私がなったが気の重い役だった。長なんてつくものは、子供のころから一度も経験したことがない。

 でもやらなくてはならない。言いだしっぺの責任だから。本を出版している立風書房と偕成社に連絡した。4冊を100部ずつ注文した。

 賛同者は次第に増え、本は人の手から手へ渡っていった。PTA関係が多かったが、教職員の応援があり、また会員が携わってるサークル等が動いてくれた。

 新聞記事を見たといい訪ねてくださる人もいた。そして仲間になって大活躍した人もいた。
 
 当時絶大な人気キャスターだった逸見さんの取材をうけた。テレビで見ていた通りの優しい人だったが、インタビューを受けあがってしまい、何を話したか忘れてしまった。

 収録の後テレビスタッフの方に、筍ご飯のおにぎりを用意した。逸見さんは今年初物ですと、美味しい美味しいと食べてくださった。

 その後夕方の番組に間に合うようにとビデオ1巻を持ち、スタッフを置いて電車で帰られた。

 テレビは主婦たちの手作り展覧会として放映された。私は初めてのテレビ出演だった。新聞やテレビで紹介されたこともあり、花の詩画展は広がっていった。

 あわただしい準備期間があれよあれよと過ぎ、あと一ヶ月に迫ったころポスターが出来た。鮮やかな木蓮の花の絵に、バックは春らしく萌黄色にした。

 出来上がったポスターを持って中間報告をしに、再び星野さんを訪ねた。最初に尋ねた時から5ヶ月が経っていた。早春の東村に、草木が芽吹き始めていた。   続く
by inakagurashi2003 | 2012-04-21 21:29 | 雑談

一緒に庭でお茶を

 星野さんの居間に通された私たち3人は、緊張しながら自己紹介をしました。そしてわが町で、詩画展を開かせて欲しいと、大胆にもお願いしたのです。

 星野さんとは初対面で、今まで何一つ関わりもなく、一枚の名詞すらもたない只の主婦のグループです。どんな答えが返ってくるか心配でした。

 いいですよ、星野さんの優しい眼差しは、遠くまでやってきた私たちを、労って下さっているそれでした。

 それから過去に開かれた詩画展のや方を教えてくださいました。まず福祉関係事業所、草のひかり福祉会に電話するようにと....

 草のひかりには、星野さんから連絡しておくと言われ、まずは詩画展を開く許可が取れたことでガチガチの緊張感は薄れたのでした。

 暫く話をしていると、星野さんの奥さんが、庭でお茶を飲みませんかと誘ってくれました。私たちが庭に出て待っている間に、奥さんとお母さんが、星野さんを電動車椅子に乗せました。

 星野さんが顎で運転して見せてくれました。前にも後ろにも回転もするのです。器械体操の先生をやっていた運動神経は、首から下の機能を全て失っても健在だったのです。

 星野さんは明るく冗談も言う楽しい人でした。庭からは段々畑の向こうに上州の山々が連なり、星野さんの絵に描かれている景色そのものがありました。

 私は本の中の一枚の絵と重なり涙がでました。首から下の機能をすっかり失い、それでも筆をくわえ絵を描き、思いついたままの優しい詩を書いているその人がここにいる。

 私たちがお茶を頂いている間、お母さんは黙々と働いています。収穫した野菜か何かを干していたように記憶しています。

 詩画展の承諾を頂き、帰途の車に乗ると、星野さんは庭から道路まででて、見送ってくれました。バックミラーを見ると、いつまでも見送ってくださるのが解りました。

 不思議なことに、手を振っていたように感じハッとしました。星野さんは首から下が動かないんだ、手を振れるはずがない。そう思うと上州の美しい山が、段々畑が見えなくなりました。

 渡良瀬川沿いの道を、星野さんは9年間もの長い入院生活を終え、あの懐かしい家に帰っていったのだ。その道を逆方向へ、私の運転する車は東京へ向かい走っている。そろそろ秋も深まろうとする頃だった。   続く
by inakagurashi2003 | 2012-04-20 06:48 | 雑談
 退職してから家の中を片付けしている。たくさんの物を処分し捨てている。ゴミの袋の中に埋もれ、懐かしい本を見つけた。

 星野富弘さんの、限りなくやさしい花々 懐かしくて読みふけった。その懐かしさは若き日の私に帰るもの。43歳の時だから25年もの年月が経ったことになる。

 25年前私たちは、友人知人、そのまた友人知人と駆け回り、星野さんの本を売った。出版社から2割の売り上げをバックしてもらい、それを資金に星野富弘さんの原画展をやろうとしていた。

 私たちの町では展覧会を開ける場所もなかった。小さいビルの空き室を借りた。教育委員会は後援をするけど何も手伝わない。1円の予算もつけてはくれなかった。

 私たちというのは、おおよそ主婦の集まりだった。学校のPTAやその他のサークルの仲間たちがほとんどで、その展覧会を知り学校の先生方も応援してくれた。

 かつしか花の画展が動き出した。最初の仲間を募るメッセージを私が書きました。こんな風に....

 星野さんの命の叫びを、その作品をとおして初めて知ったときから、

 私の中に膨れていったもの、今も膨れつづけてているもの、

 その詩画展を開きたいと思い続けて3年経ちました。

 私はあまりに微力だから、あなたの力を貸してください。

 あなたのできることを、できるだけでいいんです。いっしょにやりましょう。

 命の尊さを、生きるってなんなのか、もう一度見つめるために... ○○ ○○(私の名前)

 そのころ星野富弘さんの詩画展は、既にあちこちで開かれていて、私も八王子まで見に行きました。帰りの電車の中で、私たちにも出来たらいいねと思いました。

 星野さんに会い許可を得なくてはならない。八王子で開催した人にどうやればいいのか聞きに行きました。

 まずは星野さんに手紙を書くこと、そして星野さんを訪ね当時住んでいた群馬県の東村まで行くこと、そんなアドバイスを貰いました。

 手紙は誰が書くのか、友人たちは言いだしっぺの私に書けと言う。どう書いたらいいのか解りません。今は何を書いたかも忘れてしまいました。

 素直に星野さんの詩画に感動し、それを知らない人に伝えたい見せたい、無学でどうお願いしたらいいかもわからないけど、展覧会を開かせて欲しい、そんなことを書きました。

 暫くして電話をすると、会ってくださると言われた。3人の主婦で東村に向かった。渡良瀬渓谷沿いに車を走らせ細い田舎の道を辿ると、星野さんの家が見えた。

 私はドキドキしながら車を降り、星野さんの家の玄関に立った。  続く
by inakagurashi2003 | 2012-04-18 22:27 | 雑談

一週間休まなかったよ

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僕月曜日から、金曜日まで毎日学園に行ったよ。

 お母さんと一緒に歩いて通ったの。時々負んぶと言って、お母さんに負んぶしてもらった。嫌いだったリックも背負えるようになったよ。

 途中に公園があるから、1回だけおすべりをやるの。それから学園に行くと先生がいて、お母さんはお家に帰るから、僕は寂しくなって泣きます。

 お母さんがお迎えに来るまで、先生やお友達と遊びます。今日は先生がお散歩に連れてってくれました。僕とゆうき君は、手押し車に乗りました。

 給食は焼きうどんでした。僕は焼きうどんを食べられません。椅子に座りフォークでうどんを突きました。一本も食べなかった。

 月曜日はカレーライスを少し食べました。さめると先生がレンジで温めてくれます。僕は温かいご飯しか食べられません。火曜日はぶどうパンを1個と唐揚げを2個食べました。

 給食も頑張って食べられるようになりたいです。お母さんがお迎えに来るから、僕は泣きません。来週も休まないで通園します。

 時々お母さんや先生に、負んぶと言うけど、その時は負んぶしてね。お母さんや先生の、温かい背中が大好きだから...
by inakagurashi2003 | 2012-04-13 21:04 | 孫日記

春雨じゃ濡れて行こう

 翌日5時に目覚めると雨が降っていた。降ることは解っていたので、前日傘を買っておいた。そんなのが役に立つのは嬉しくはない。

 仲間の一人が私雨女なの、と言う。そんな話はよく聴くが的中するとはね。ここに晴れ女がいたらどうなるのだろう。

 朝食はバイキングで、お皿にチョコチョコ好きなものを盛った。パンも食べたのにご飯に納豆まで食べた。その中でご飯に納豆、生のりの佃煮を混ぜたものが、一番美味しいのはどうしたことか。

 食事を終え部屋でゆっくり寛いでいると、集合の時間になった。雨はまだ降り注いでいる。今日の予定は雨のため、新神戸駅近くにあるハーブ園見学にした。

 ハーブ園では石鹸やハンドクリーム、お部屋の香水などを作る実習に挑戦した。私はハンドクリームを作ることにし、それを習った。

 マニアル通りに進めあれよあれよと言う間に、ハンドクリームが出来た。3種類のハーブを数滴たらすと、ほのかに香るクリームが出来た。

 最近手荒れがひどかったので、これを毎日つけようと思う。防腐剤無添加で作ってから1ヶ月で使い切らないといけないらしい。

 家でも作ってみようと少しの材料を買った。良い香りのものを見つけて、違う匂いのクリームを作ってみたら面白いと思う。旨くできるかどうかは保障しないが、自分で使用するものだからいい。

 ハーブ園でお茶を入れてもらい、身近にあるハーブの話を聞いた。ローリエの生の葉を嗅いだことはなかったが、あれで結構きつい香りがするものだ。

 気がつかなかったが、私たちの周りにハーブはたくさんあることが解った。夏にたくさん取れる大葉は青紫蘇で、これも立派なハーブなんだ。

 雨はまだ上がりそうもない。帰京の新幹線のぞみは、午後3時過ぎの新大阪始発列車東京行きだから、時間はたっぷりある。

 大阪で美味しいものでも食べようと、新神戸から新大阪まで一駅を東京行きの切符で乗ってしまった。これが失敗だった。

 この乗車券は途中下車できないので、駅構内に留まらないといけない。うっかりし大阪の町で食事することは出来なくなった。

 仕方なく構内のラーメン店で、それぞれラーメンを食べた。乗車を待つ時間が長い。構内のお土産店を見たり、コーヒーショップで飲み物を買い、待合の椅子でお喋りしながら時間を潰した。

 一人なら長すぎる時間も、仲間がいてあれこれお話できるから、ちっとも苦痛ではない。それどころか、楽しい旅行の時間が、止まっていてもいいとすら感じた。

 午後3じ過ぎのぞみは一路東京へ。3時間足らずの乗車時間もあっと言う間に過ぎ、ビルのひしめく東京駅に到着したのは、6時を数分過ぎた頃だった。

 ここからはそれぞれの家に向かい、総武線、山手線、京成線、地下鉄千代田線へと別れていったのだった。一泊の小旅行だったが、いちいち会は益々結束を固めた気がする。

 元気な内はいつまでも仲間でいさせてください。企画してくれた皆さん本当にありがとう。今度はどこにしようかと、帰ってきたばかりでもう言っている。

         写真は後日誰かに借りてアップしたいと思います。乞う、ご期待!!
by inakagurashi2003 | 2012-04-12 21:35 | 雑談

初孫誕生で喜びのオーマ(ドイツ語でおばあちゃん)です。


by inakagurashi2003